だいぶ更新が滞ってしまいました。

わが家のブログは、基本的に子育てネタが中心だったわけですが、下の子も小学校に入ってしまい、子どもたちの写真をアップするのに許可を取るようになったとたん、書けるネタが激減しました。うちの子どもたちは恥ずかしがり屋なのです。

しかし娘から久々に掲載許可が下りました。


そう。長女は昨年4月からバスケを始めました。
(撮影はチームメイトの父・Tさん。いつも素敵な写真をありがとうございます)

スポーツスパルタの家庭で育った僕はかねてから、子どもたちに何かしらスポーツをやってほしいと思っていました。所作の美しさはバランスのよい筋肉によって生まれるし、身体の使い方が上手な人は美しい。それは個人的な価値観ではあります。しかし、歳をとって筋力が衰え、身体も硬くなってから、若くしなやかなうちに身体を動かす楽しさを味わっておきたかったと思っている人は少なくないでしょう。

僕は若いうちにバック宙ができるようになってよかったと思っています。あの感覚は、中年となった今や、もう二度と味わうことができません。高校1年のときに決めたダイレクトボレーの同点ゴールだったり、小学校6年のときに打ったセンター前への逆転タイムリーだったり、僕の身体には幸せな感触がたくさん残っています。そこに理屈はありません。ただただ本当に気持ちがよかった。頭ではなく、身体に刻まれた幸せな記憶です。子どもたちにも同じ感触を味わってほしい。

しかし、幼いころから運動に興味がない娘にはどうアプローチしたらいいかがわからない。迷っているうちに時は過ぎ、娘はあっという間に小3に。焦った僕は見切り発車しました。とりあえず親のエゴから入ろう。僕が見ていて楽しいスポーツに興味を持ってもらえるよう、多少強引でもきっかけをつくろう。そう思って、まず「テニスの王子様」全42巻を娘に買い与えました。しかし、読みはするものの、まったくプレイしたいとは思ってくれない。そこで、次は「スラムダンク」全31巻を実家から持ってきました。

すると、読み物として感動したのはもちろん、バスケをやってみたいというわずかな心の動きが見て取れました。このタイミングを逃すまいと、僕は娘が全巻を読み終えるや否や、信州ブレイブウォリアーズの試合に2度ほど連れて行きました。どうも、やってみたくてうずうずしているのがわかりました。

(一方、会場の熱気に気圧されて「日本に帰りたい」とつぶやく弟)

加えて、幸運なことに、娘のクラスメイトが2人、1年ほど前からミニバスを始めていました。彼女たちの存在が大きく背中を押したと思います。「クラブの練習に行ってみない?」というひとことに、娘は逡巡しながらも頷きました。

かくして、運動にそれほど興味を持っていない、かつ、かなり引っ込み思案な娘が地域のミニバスクラブの門を叩くことになったのです。3ヶ月ほどかけた努力が実を結びました。

決して運動が得意ではない娘にとって迷惑なことだったかもしれない、そう思うこともありましたが、娘はいつ聞いても「バスケは楽しい」といいます。試合に出られない日がほとんど。出たとしても1回もボールを触れない日が多々あります。それでも、娘は練習を休みたがりません。何が楽しいか、言葉で言い表すことはできないようですが、それでも楽しいという気持ちにウソはないようです。きっと、成功率の高くないシュートがたまに入ったり、滅多に回ってこないパスがキャッチできたり、些細なプレイの一つひとつが理屈抜きで気持ちいいのだと思います。見ている親としては、やきもきする時間が長い分、うまくいったときの嬉しさも格別です。


繰り返しになりますが、スポーツを通して、僕の身体には幸せな感触が記憶されています。娘の身体にもたくさんの幸せな記憶が残りますように。そして何より、チームメイトと一緒に、幸せな時間がすごせますように。

(夫記)
半年ほど前から、友人の飼い猫をたびたび預かっています。長いときで2週間ほど。2日ほど飼い主のもとへ帰って、またわが家へ、というようなときもあります。

半同棲状態です。

彼女の名前はウニといいます。

ウニの人との距離感は絶妙です。つかず、離れず、懐いているような、懐いていないような、頼りにされているような、相手にされていないような。まあ、多くのネコとその飼い主の関係と同じなのでしょう。「わが家のウニ愛>ウニの安斎家愛」という、健全な関係性が築かれています。あくまで預かっているのですが、いないと寂しい。半分家族みたいな、そんな存在です。

その愛する彼女ですが、どれほどかわいい子でも、やはり直してもらいたい癖のひとつやふたつはあるものです。

始まりは唐突でした。

ある晩のこと。家族が熟睡しきっている午前2時。ビー!ビー!と寝室でセミがあらん限りの声で鳴きだしました。バサバサと羽音が鳴り、障子にぶつかる。ウニがバタバタと走り回る。「おとーちゃーん!」と泣き叫ぶ妻子。もはやブレーメンの音楽隊の世界です。

家族は恐れおののき、部屋の隅に固まります。状況を把握するまで数分を要しました。ウニは外でセミを捕獲し、セミ・ファイナル状態の瀕死のセミをわれわれに見せびらかしつつ、暴れるセミをもてあそんでいたのです。

ウニを追い払い、生死不明のセミをつかんで外へ投げる。書いてしまえば一行ですが、夜中の寝室で遂行するには相当にハードルが高い任務です。正直、完全に死ぬまで放置したい。そうでなければ、それなりの金額を支払うので、外注したい。

しかし、一家の長としてやらねばなりません。半泣きになりながら、電気をつけ、断続的にのたうち回るセミをつまみ、外へ投げ出しました。セミはよれよれと飛んでいきます。僕は家長としての面目を保ちました。

それからというもの、何度、僕は生死の境をさまようセミを助け出し、屋外へと放ったことでしょう。ほぼ毎晩です。



ショウリョウバッタの日も何度かありました。

知っていますか、ショウリョウバッタ。バッタと言われて想像する長さの3倍くらいあるバッタです(調べたらメスがでかくて、オスは小さいようです)。大してスピードはないものの、飛びます。飛ぶんです。

くつろぎの空間で、一日の終わりをのんびりとすごしているところに、10センチくらいの生き物がバタバタと飛翔し、顔に向かってくるのを想像してください。不惑を超えた夫婦も、惑います。




そんなこんなで、僕はこの夏、多くの瀕死の虫を救いました。いつか、わが家のピンポンが鳴り、「あの日、助けていただいた者です」と色黒で騒がしい男が現れても、あの日がどの日かわかりません。


半同棲の彼女とすごした夏ももうすぐ終わりですが、こんなにドキドキした夏は初めてです。

(夫記)

息子の宿題がなかなか終わりません。いや、正確に言うと、なかなか始まらないし、なかなか進まないし、結果、なかなか終わりません。

出される宿題は、ひらがなが一日一文字×20個と算数のプリントが1枚。姉は一年生当時、土日分を金曜日の夕方までに終えていた分量です。

いつまでも手をつけず、母親に本気で怒られても、涼しい顔で「いつかやれるよう応援してください」とひとこと。



やっと始めたところで、二度書き、三度書きを繰り返して、ひたすら精緻なひらがなを描いていくため、一文字に数分どころか一時間かかったりします。字を書くというより、模様を描いている感じなのです。気づくといつの間にかコロコロコミックを読んでいて、再びカミナリが落ちます。

密着すると気が散るそうなので、目を離すと今度はフィギュアをボーっと眺めていて、それもまた没収され、三たびカミナリという展開。

その調子なので、夜も更け起きていられなくなり、勉強部屋からめそめそと「『か』が書けない…」という怨霊のようなつぶやきが聞こえてきます。


あまりに時間がかかるので、何度も「もうやらなくていい!」と怒鳴りつけ、さじを投げかけるのですが、そのたび息子の中で消えかけた、やる気のともしびが灯り、「やる!」と自らに一喝して机に向かいます。

しかし、数分も目を離すと、親が隠したコロコロコミックを見つけ出して読んでいるという繰り返し。

ちなみに、今日の算数では「おかあ、いま言った答えを忘れないように、メモしておいて」と母親に指示して、しこたま怒られていました。


のび太くんの怠け癖とカツオくんのあざとさが同居したような息子と向き合っていると、いつの間にか休日が終わっています。

この週末も、金曜日夕方にスタートしてまったく進まず、土曜朝にリスタートした宿題が、夕方まで終わらず。

この文章を書いている間も、背中から「コロコロコミックを取り返すぞー」という声が聞こえてくるのですが、一時間おきに覗き込んでみても、時速一文字で増えているだけなのでした。

(夫記)

ちなみに下の写真は、算数の答えを忘れないためのメモ。すべての答えが書かれているので、不要だと思うのですが。


これまで3年間、わたくし安斎が“中の人”として携わってきたナガラボですが、先日おこなわれたコンペの結果、4月から他の会社さんが受託することになりました。

たまに僕が立ち上げたと勘違いされることがありますが、あれは長野市の事業です。既に基本構想があったところに僕がすぽっとはまっただけです。

1年ごとの更新で、そのたびコンペなので、いつかこういう日が来るという覚悟はありました。しかし、もう3年も「ナガラボの安斎」だったし、自分の意思で降りるわけではないので、なんだか実感がありません。

ナガラボのおかげで、僕は会いたい人に会うことができたし、話を聞きたい人に時間をもらうことができました。夫婦であこがれの飛田和緒さんを取材させてもらったり、編集・執筆以外にも、長野市まち・ひと・しごと創生総合戦略の策定に携わったり、大学で企画や編集について授業をさせてもらったり、本当にいろんな経験ができました。


去年4月にはナガラボを受託していた会社に社員として拾ってもらいました。おかげさまで、わくわくできる仕事が次々とやってきて、バタバタとあっという間に1年が過ぎようとしています。どん底だった3年前には想像もつかなかったことです。

しかし、仕事の幅が広がる一方、自分がナガラボに関わる時間は減っていきました。そう考えると潮時だったのかもしれません。

他人が運営するナガラボを見るのは不思議な気持ちだし、正直に言えばあまり見たくはないのですが、それでもやっぱり僕の人生を変えてくれたナガラボは、みんなに愛されるメディアであってほしいと思います。

これまでご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

何だか退職エントリーみたいですが、会社を辞めるわけではありません。引き続き、株式会社ながのアド・ビューロでプロモーションに関わるあれこれを企てていきます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

(夫記)
大阪出張の宿泊先がたまたま、かつて通勤していたビルの裏でした。無機質な街にそびえるビルはあの頃と同じようにピカピカしていました。


ハイテク機器にあふれた高層階にある広いオフィス、分不相応な給料、一方で売らなければいけない愛着のない商品。経済的なゆとりと精神的な切迫感。いろんなことがちぐはぐでした。

職を変えても、どういうわけか、ちぐはぐな暮らしからは抜け出せず、10年近くをさまよいました。その間、たくさんの偶然とあがきがあり、僕は今、人口密度の高いフロアの、狭苦しい机の上で、売りたいと思えるものをつくったり、売れるに違いないと思える企画を練ったりしています。しんどいけれど楽しい、楽しいけれどしんどい。でも、稼いでいるという実感があって、地に足がついている。家に帰っても仕事をしているし、ふとんに入っている間も仕事のことを考えているので、時給にしてしまえば下がったのかもしれないけれど、決して悪くありません。

価値観はそれぞれ。でも、僕は今の自分のほうがはるかに好きで、よくもまあ10年近い迷子の日々から抜け出せたものだと、ピカピカのビルを見ながらしみじみ思いました。

7社8職種目の40歳。広告屋になって2度目の春が来ます。
ことしもバレンタインがやってきます。
多笑のバレンタインといえば、O田さん。
バレンタイン当日は平日なので、本日、届けに行ってきました。



今年はホワイトチョコにナッツとドライフルーツを入れました。
なかなかの力作です。


いつからO田さんが好きなのか、振り返ってみました。

2011年10月 出会い。


2013年3月 松本へ引っ越し。お手紙を書く。


2015年2月 バレンタインにクッキーを焼く。


2016年2月 前年に続きクッキーを焼く。


これまで8年の人生のうち、5年半も思い続けるってなかなかないと思います。
わが家の恒例行事。いつまで続くかな。

もう1ヶ月以上も経ってしまいましたが、「門前まちあるき」で案内役を務めました。
テーマは「絵になる人を撮る」。

若かりしころは人を撮るのが好きで、ちょくちょく街で知らない人に声をかけていました。怪しい目で見られるのは承知の上。若い女の人はためらわれるので、もっぱらお年寄りやカップルが被写体でした。
人物スナップは、表情だとか、目線だとか、動きだとか、その一瞬、そこにいた自分にしか切り取れない写真が必ずあります。だから風景や静物を撮るよりずっと楽しいと思えたのです。

しかし、カメラの主流がデジタルに移行して、「写真を撮ってもいいですか?」と話しかけづらい世の中になりました。フィルム時代と違って、データはどこにどう流れていくかわかりません。昔だって変な目で見られて断られることの方が多かったけど、デジタル時代になってからは「いいよ」と言ってくれる人すら「恐る恐る」という感じになってしまいました。だから、ずいぶん前に僕は人を撮るのをやめ、ノラ猫にターゲットを変えました。

今回、「まちあるき」の案内役のお話をいただいたとき、自分にできることをあれこれ考えましたが、やっぱり人を撮る楽しさを伝えたいと思いました。それも、好きな街の素敵だと思える人たちを撮って歩く。まあ、自分が撮りたかっただけなのですが。

定員は5人にしました。10人以上の人が被写体を囲むというのは、なんだか格好のいいものではないし、一人ひとり順番に撮っていくとなると、時間がかかりすぎる。5人くらいがちょうどいいだろうと。

最初はOND WORK SHOPの木村さんの手仕事を、


シンカイでライターの小林くんの暮らしを、


藤田九衛門商店では尾藤夫妻のおもてなしを、


三河屋洋傘店で北澤さんの技を、


最後は粉門屋仔猫で小林さん、野村さんの楽しげな雰囲気を。


なんだか参加者や被写体に気を遣ったり、タイムスケジュールを気にしたりで、撮影に集中できず、あまりいい写真が撮れませんでした。皆さん、実物はもっともっと素敵なのに。1か月以上もアップできずにいたのはそのせいです。

人を撮るのは難しい。

でも、やっぱり楽しかった。

(夫記)
ご無沙汰しております。妻です。

長野市に降り続いた雪がようやくやんだ本日。
娘が初登校していきました。
というのも、昨年末に直太朗がおたふくかぜにかかり、
潜伏期間3週間ほどを経た先週、多笑が発症。
以来ずっと小学校を休んでいたのです。

そんなわけで、やっと年が明けたような晴れ晴れとした気分。
時候外れは承知のうえで申し上げます。

明けましておめでとうございます。
なかなか更新されないブログですが、
今年も気長におつき合いいただければ幸いです。




写真は、今年の年賀状用に撮影した1枚。
自宅で印刷したものの、寒さのせいでインクののりが悪く、
不鮮明なものをお送りしてしまいました。
そして、とあるお宅へは、なんと表書きだけの
白紙の年賀状を送ってしまったようです。

さとしくん、えりちゃん、大変失礼いたしました。
ほんとはこんな写真が印刷されているはずでした。
ごめんね。


(妻記)

男児が生まれたばかりの友人に
「男の子と女の子ってどこが違いますか?」と聞かれ、
「男のほうがはるかに意味のない行動が多いよ」と即答した、
その翌朝のこと。

わが家の6歳男児に「何が食べたい?」と尋ねると、
いそいそと「あいうえおブック」を持ってきました。
「設計図を書かなきゃ」とのこと。


書いた字が正しいかどうかを「あいうえおブック」で確かめながら、
こつこつと書いた設計図がこれ。


まあ、かいつまんでいえば、
トーストにあんことバナナを乗せて食べたいということなのですが、
直太朗を介すと設計図作成に十数分かかるわけです。



2歳上の姉にこうしたムダはありませんでした。
このムダは男児特有のもの。
時間や気持ちに余裕があるときは楽しいものです。

一方。

その朝は大雪。
普段、外で元気に遊ぶことが少ない息子ですが、
どういうわけか悪天候は大好き。
いそいそとスキーウエアを着て出かけます。

そして、僕や妻が道のわきに寄せた雪をひたすら道に戻す。
邪魔にならない場所に積み上げた雪を崩す。
いくら叱ってもへこたれない。
そして、こういうときに限って、どういうわけかムダに体力があります。


暖かい室内で設計図を待つのは楽しいムダですが、
寒さと雪の重さで気持ちが萎えているときの
こうした行動は本当に心身を疲れさせます。

これから男児を育てる方は覚悟してください。

男児の99%はムダでできています。

(夫記)
男親としては息子が躍動する姿を見たいのですが、そのような直太朗を見たことがありません。
普段は多くの時間を、絵本かマンガを読みながらゴロゴロと過ごします。
とにかく身体を動かしません。


運動するとしても、「精一杯」とか「全力」という言葉とは無縁です。
「競争」や「挑戦」も可能な限り回避します。

下は相撲大会を前に保育園に張り出されたカード。


上は運動会のカード。
まったくやる気が感じられないように見えますが、実のところ本当にやる気がありません。
特に本人からのコメントがないので、妻が一生懸命、にぎやかに装飾しています。

相撲大会は、誇張表現なくまばたきをしている間に敗れ去り、運動会のかけっこはビリ。

これまで、「あまり期待しないでおこう」と慰めあっていた僕ら夫婦ですが、
今年の運動会は、期待していた組体操に、ほとんど参加しないというふがいなさ。
(お友達とふざけていて、エスカレートして、いじけて、途中ほとんど突っ立っていた)

「これはまずいゾーンまで来ているぞ」と感じ、
その後、休日ごとに「自転車乗ろうよ」「サッカーしようよ」と体を動かすよう誘うのですが、
「昼寝したい」「寝室で遊びたい」という息子を動かせないまま、半ばあきらめムードで時は流れたのでした。


そんなある日。
朝からの雨が上がったタイミングで直太朗に「どこか行きたいところはないか」と聞くと、「リサイクルショップ!」との答え。
リサイクルショップには中古のおもちゃが格安で並んでいるからです。

ハイキングだとか、公園でサッカーとか、アクティブな提案を夫婦で繰り出したものの、
直太朗の希望は揺るがず、リサイクルショップ。

わが家から最も近いお店でも1.5㎞ほどあって、その距離感を息子も知っているはずなので、
「走って行くならいいよ」と返すと「いいよ、走ろう!」と直太朗。

いそいそと僕のバッグに僕の財布を入れて渡し、外へ駆け出します。


すぐに音を上げるはずと踏んで、一緒に走り出したのですが、意外や意外、まったく足を止めることなく、
とうとう1.5㎞ほどの距離を7分ほどで走り切りました。


運動会でも相撲大会でもまったく覇気がなかった直太朗が、
まさか一度も休まずに(しかもずっとおしゃべりしながら)1.5㎞も走るなんて。
保育園児の物欲ってすごい!

結局、選んだのはトッキュウジャーのロボットの右足。
大人からするとゴミとしか思えませんが、直太朗はご満悦のようす。


帰りはさすがに途中で力尽きて歩きましたが、
息子に少しはエネルギーが宿っていることを知り、ちょっとだけ安心した父でした。



(夫記)
プロフィール
安斎
安斎
長野市郊外のフツウの平屋で暮らす家族4人のフツウの日々を、夫と妻それぞれの目線で綴ります。これまでのブログ「安斎家のフツウな門前暮らし」「安斎家のフツウな城下町暮らし」「安斎家のマスオさん暮らし」もよろしかったらどうぞ。
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