ナガラボの安斎じゃなくなります。
2017/03/18
これまで3年間、わたくし安斎が“中の人”として携わってきたナガラボですが、先日おこなわれたコンペの結果、4月から他の会社さんが受託することになりました。
たまに僕が立ち上げたと勘違いされることがありますが、あれは長野市の事業です。既に基本構想があったところに僕がすぽっとはまっただけです。
1年ごとの更新で、そのたびコンペなので、いつかこういう日が来るという覚悟はありました。しかし、もう3年も「ナガラボの安斎」だったし、自分の意思で降りるわけではないので、なんだか実感がありません。
ナガラボのおかげで、僕は会いたい人に会うことができたし、話を聞きたい人に時間をもらうことができました。夫婦であこがれの飛田和緒さんを取材させてもらったり、編集・執筆以外にも、長野市まち・ひと・しごと創生総合戦略の策定に携わったり、大学で企画や編集について授業をさせてもらったり、本当にいろんな経験ができました。
去年4月にはナガラボを受託していた会社に社員として拾ってもらいました。おかげさまで、わくわくできる仕事が次々とやってきて、バタバタとあっという間に1年が過ぎようとしています。どん底だった3年前には想像もつかなかったことです。
しかし、仕事の幅が広がる一方、自分がナガラボに関わる時間は減っていきました。そう考えると潮時だったのかもしれません。
他人が運営するナガラボを見るのは不思議な気持ちだし、正直に言えばあまり見たくはないのですが、それでもやっぱり僕の人生を変えてくれたナガラボは、みんなに愛されるメディアであってほしいと思います。
これまでご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
何だか退職エントリーみたいですが、会社を辞めるわけではありません。引き続き、株式会社ながのアド・ビューロでプロモーションに関わるあれこれを企てていきます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
(夫記)
たまに僕が立ち上げたと勘違いされることがありますが、あれは長野市の事業です。既に基本構想があったところに僕がすぽっとはまっただけです。
1年ごとの更新で、そのたびコンペなので、いつかこういう日が来るという覚悟はありました。しかし、もう3年も「ナガラボの安斎」だったし、自分の意思で降りるわけではないので、なんだか実感がありません。
ナガラボのおかげで、僕は会いたい人に会うことができたし、話を聞きたい人に時間をもらうことができました。夫婦であこがれの飛田和緒さんを取材させてもらったり、編集・執筆以外にも、長野市まち・ひと・しごと創生総合戦略の策定に携わったり、大学で企画や編集について授業をさせてもらったり、本当にいろんな経験ができました。
去年4月にはナガラボを受託していた会社に社員として拾ってもらいました。おかげさまで、わくわくできる仕事が次々とやってきて、バタバタとあっという間に1年が過ぎようとしています。どん底だった3年前には想像もつかなかったことです。
しかし、仕事の幅が広がる一方、自分がナガラボに関わる時間は減っていきました。そう考えると潮時だったのかもしれません。
他人が運営するナガラボを見るのは不思議な気持ちだし、正直に言えばあまり見たくはないのですが、それでもやっぱり僕の人生を変えてくれたナガラボは、みんなに愛されるメディアであってほしいと思います。
これまでご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
何だか退職エントリーみたいですが、会社を辞めるわけではありません。引き続き、株式会社ながのアド・ビューロでプロモーションに関わるあれこれを企てていきます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
(夫記)